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ナリワイのつくりかた 人生を盗まれない働き方
[
2012-07
-23 14:47 ]
ブックレビュー 平川克美 『小商いのすすめ』
[
2012-05
-20 16:58 ]
1
ナリワイのつくりかた 人生を盗まれない働き方
012/07/22 ブック・レビュー
伊藤洋志『ナリワイをつくる 人生を盗まれない働き方』
担当:米田量
■はじめに
ブックレビューは、紹介する本を媒体として、思いついたことや、関心のあることを話したりすることを意図した集まりです。本の内容を正確に理解したり、筆者の主張をそのまま受け入れることよりも、参加者が本の紹介をきっかけにして、考えたり整理したりるほうがいいかと思っていますので、質問や思ったことはその場でいってもらって結構です。
■この本を選んだ理由
著者の伊藤洋志さんがある友人(本の中で紹介されている和歌山で当選した若い市会議員)のつてで、住んでいたシェアハウスに来られた。ちょうど古今燕という新しい場所を自転車で5分の近所につくられているときだった。伊藤さんの実践を聞いていくと、すごい人がいるものだなあと思い、どちらかというと優秀な人、できる人は自分と違うなあと遠さを
感じている部分も多かった。今もそう思うところもあるけれど、しかし、やや違うところにも意識が向き始めた。自分ができないことはとりあえずそれとして、同じ方向性をもつ人たちを応援する、と同時に、自分を鍛錬し、仲間をつくるということは、自分がもっている媒体を工夫すればすすめていける。伊藤さんがやっていることとを紹介したり、媒介したりすることなどで、自分の自給力を高め、エンパワメントしていくことができる。その在り方であれば、特に今自分がもっているもののなかでやっていくことができる。周りを知り、共に盛り上がっていくことができることをやる、という方針のなかでこの本を選んだ。
■概要
ベンチャー企業に就職し、ストレスで体を痛めていた伊藤さんには、大学時代の着物販売のナリワイの経験があった。都内の古い屋敷を友達とともにかり、改修すること、結婚式を自分たちでプロデュースすること、モンゴルに頻繁にいっていた経験などを生かしたモンゴル武者修行ツアーなど自らの事例も紹介しながら、自分でまかなえるものを増やしていく、自分たちがエンパワメントされていきながら、生活を創造していくあり方、ポストグローバリゼーションの世界を含めた生活のあり方を提案している。
■本文引用
個人レベルではじめられて、自分の時間と健康をマネーと交換するのではなく、やればやるほど頭と体が鍛えられ、技が身につく仕事を「ナリワイ」(生業)と呼ぶ。02
大正9年の国勢調査で国民から申告された職業は約3万5000種、現在の厚生労働省の「日本標準職業分類」によれば、いまや2167職種。わずか90年程度前には、はるかに多様な職業の種類があり、職の多様性も高かった。003
仕事はもっと多様性のあるものだった。季節ごとに生業は変わるし、色々な仕事があり、それを各自が組み合わせて生活を組み立てていた。005
起業と言うと、大きな仕掛けやシステムが必要となってくる。そうではなくて、具体的な「ナリワイのタネ」を生活の中から見つけ、一つ一つを自分の小規模な自営業として機能させていくことを目指す。」007
ナリワイとは、生活の充実から仕事を生み出す手法である。作戦としては、守りを固めてから攻めるのが基本である。どういうことかというと、何よりもまず、支出をコントロールし、無駄な支出を減らす。支出を減らすことでむしろ生活が豊かになるような工夫を考えて減らす。さらに、もしものときには月3万円程度の収入でも暮らしていけるような生活場所を見つけて、非常時にはそこに動ける態勢を用意しておく。26
面白いことに、ここ数年で個人が仕事をつくるためのインフラがウェブサービスの分野を中心にできつつある。「Airbag」(自分の住居や別荘・空き部屋を貸し出すことができるサイト)、「Etsy」(手づくり品を世界に向けて販売できるサイト)など、個人が少ない元手で自分のナリワイをつくることができるプラットフォームが次々に定着しつつある。36
やるべきなのは多様な仕事を組み合わせて自分たちの暮らし方をデザインできる訓練と環境づくりである。37
バトルタイプでもない人が同じ業種でまともに戦うと、やられるのは非バトルタイプの側なので工夫が必要だし、そんなに儲けなくても続けていける態勢を構築することがポイントになってくる。一つの鍵が、サービスの受け手側がちょっと協力できるようにすること。「モンゴル武者修行ツアー」も、お金を払えば誰でも参加できるものではなく、武者修行ツアーの趣旨に合う人だけ参加できる、という条件を設けることによって、千客万来では実現できない濃い内容にすることができている。41
◇苦労の次元を変える
「田舎には雇用がない」→「定期雇用は少ないが、頼まれる仕事はたくさんあって受けきれないほど」
「月20万ほど必要」→「やり方を工夫すれば毎月3万円以内でもいける」
「仕事は専業でなければならない」→「借金しないで自分が自給する程度の野菜や穀物をつくる。余れば売る。」「農業大変、しんどい」→「自給程度ならそんなに難しくない」
一旦引いて状況を見てみれば、それが自分にとって必要な努力なのか不必要な努力なのか見極められる。53
◇アメリカの事例 CSA(コミュニティ・サポーティッド・アグリカルチャー)予約先払い制度での野菜購入。発想の転換「農業生産が自分の仕事」→「市民のための農園の管理人をしている。」54
自分の生活を自分や自前のネットワークで賄えるようにすることがスタートで、やっているうちに生活の自給度が上がるということを前提にしている。したがって、収入も増えつつ、同時に支出も減っていくという「ダブルインカム」状態が生み出されるわけである。56
コンセプト主導型ではない。ナリワイは弱いコンセプト 57
日頃の行い次第で誰でも時間をかければ身につけることができる。逆に、ナリワイ的感覚は日頃の生活の工夫でゆっくりとしか鍛えられない。57−58
ナリワイ的発想 カタカナ語を使うと一喝される道場。→参加者はゼロでもいい。でも必要としている人もいるかもしれない。少しでも人の自力を高めて役に立てるのであれば、それはナリワイにしていい。ダメならさっとやめてしまう。60
実感があることをする。66
副業を許さない会社は疲労していくのでは。会社7割、ナリワイ3割案。70
ナリワイ10か条
・やると自分の生活が充実する
・お客さんをサービスに依存させない
・自力で考え、生活をつくれる人を増やす。
・個人ではじめられる。
・家賃などの固定費に追われないほうがよい。
・提供する人、される人が仲良くなれる。
・専業じゃないことで、専業より本質的なことができる。
・実感がもてる。
・頑張って売り上げを増やさない。
・自分自身が熱望するものをつくる。
事例:カレーナイト
著者がナリワイをはじめた最初の3年間の住居は、飲み会が高すぎて困る、という動機から古い日本家屋を有志でかり、お金はかからないけどちょっといきたくなる企画を実行。気がついたら自力で家を修繕できる力がつき、小さな企画を考えて、段取りをして、告知をするというナリワイづくりの基礎的な鍛錬にもなっていた。77
■支出を面白くカットする 81
廃村で8人家族。子どもは全員進学。年収が低いため奨学金が受けやすい。頑張って勉強するはげみに。固定費が少ないので収入がそのまま使えるお金として残る。
田舎で家を借りて暮らすことができる方法を学んでおけば、かなり余裕のある家計運営に転換する「選択肢」をもつこともできる。85
■不安の出所はどこだ?
様々な「恐怖」を「危機感」に変換できることが基礎能力として必要である。87
「何がどれくらい難しいのか、小刻みに調べていけば、我々が普段難しそうと思っている大抵のものは、解決可能なものの集合体にすぎない。」88
「給料がなくなるという恐怖も、そもそも自分が生活していくのに毎月いくらかかるのか、どこまでそれを減らせるのか、極限まで支出を押さえてそれが何ヶ月持つのか、楽しく続けられるのか、ということが一つ一つきちんと分かっていればよいのである。」88
著者の事例 必要なもの→日当りのよい寝床・温泉・いい食事 →この3つを満たすための生活コストを調べて金額として把握している。最低限それだけは満たせるナリワイをつくれる訓練をしておけばよい→非常に安心感。
ナリワイのタネ
広くてきれいな物件で銭湯が近くにあれば風呂なしでいい
→そういう物件は少ない →ボロすぎて借り手のいない風呂なし物件を軒並み借り受けて、きキッチンをなくして広くてきれいにリフォームして、ちょっと豪華な共同キッチンをつくって個室だけど共同スペースがあるシェアハウスに改装、近所の銭湯と契約して安く入れるようにする。109
■ナリワイをつくるための基礎的な鍛錬は、大きく分けて2つある。第一の方法は、「未来を見る」。第二の方法は、「日常生活の違和感を見つける」だ。124
ありったけの取り組みたいことを書き連ねる。書いてみると自分がこういうことに取り組みたかったのかが再確認できる。確認できると、そこに書いたことを実現するのに関連しそうな情報を勝手に頭が集めるようになる。125
精神と時間と体力の余裕 →余裕をもつためには、なるべく固定費がかからないようにしておくこと。頑張らないで物事を解決していくことが求められる。「頑張る」というのは一つの思考停止だからである。129
自分自身の眼球や耳、あるいは肌で「なんかありそう」ということを感知できるように感覚を研いておくことが一つの鍛錬である。129
未来の予想をどうナリワイにつなげるのか、具体的に考えてみよう。「ふんどしが流行る」と予想したら、何をすればよいか考える。これが第一段階。まずは自分でふんどしをつくってもよいだろう。つくる以外にも方法はある各地に眠るふんどしの工房をスカウトしてふんどしのセレクトショップを開いても・・作り方を本にまとめて販売する、、集まってふんどしをつくる会を企画して参加費をいただく・・130
第二段階 考えた仕事がどういう価値をもつか、という視点で考える。
つくる→役立つものを制作して提供する、人の代わりに物をつくる。人がつくれないような優れたデザインを考える。
販売する→他人の代わりに物を選択して販売する
作り方の本を出す→やり方を研究して誰でもつくれるような形にまとめる。
メディアを運営する→情報をまとめて共有できるようにする、同好の人が情報交換できるようにする。
ワークショップを企画運営→人が集まって、技術を身につけられる場所と機会をつくる
材料をつくる→ふんどしに最適な布をつくることで、ふんどしをつくる人の環境を整備する
132
第3段階 証拠をつくる
他人からの感想をもらう。かっこいい写真をとる。ふんどしがいかにからだにいいか科学的研究を提示する。歴史的にふんどしが選ばれてきたかを紹介する。このようにアイデアがわいてくるように普段の買い物も勝負と思って買う。136
ナリワイをつくる第2の方法
日常生活の違和感をみつける。138
「なぜ」より「そもそも」を常に考えて。「どうやったら夢のマイホームが手に入るか」→「そもそも住宅ローン自体がいらなくないか?」138
19歳著者のナリワイのきっかけ
キアヌのロングコートの似合いっぷりに衝撃→着物で勝負する→着物は高い→安い着物を掘り出すには→手に入れたものを売る→じぶんの責任で商いをする体験を得る。
まずはボールをさわることから。
まずやってみる。地道に鍛錬する。「なんでもいいから自分でサービスを考えて確かに提供すること」を試行錯誤する。145
ウェブサイトを修正できるようになりたい。
→実践している人から直接教えてもらう。報酬も全部その人にいくし、その後縁ができる。
実験する。一次情報を得る。→二次情報を整理できるようになる。しかし、漫然と情報を得ようとするのではなく、一次情報収集時には、注意し眼を凝らす工夫をいれる。スケッチをとる、相手を驚かす質問を用意しておく、など。
値段の設定
お金持ち相手なのか、同世代相手なのかで値段を設定。少し高めに考えることでシステムをつくる余裕が生まれる。「極端な話、荒削りなサービスであろうとも、鋭い着眼点で他にはないものであれば、ありきたりの内容で完成度が高いものよりも、荒削りなほうがいい場合もある、168
クライアントワーク 床張り協会のたちあげ
ところで、建築デザインなど現代のクライアントワークの最大の課題は、依頼者の理解度が高くないので、真に価値のある提案が決済者に通らず、無難な選択肢が採用されがちであるということである。190
よい提案を徹夜して考えることも大事であるが、その前に鋭い提案を受け入れる依頼主に出会わなければならない。依頼者を何らかのかたちで教育をしなければ、渾身の提案を通すことができない。床張り協会が、多くの人の床張りリテラシーを高めようとしているのと同じような工夫が必要なのである。190
■自分の人生で重要視する基準を設ける
年収のほかに「どれだけ自分の生活に必要なもの自分で賄えるか」、「それを人生のなかで増やしていけるか」・・・またどれだけ「この人が困ったらなんとかしてあげよう」と思える仲間がいるかどうかを基準にするのも、健やかに暮らしていく一案になるのではないか192
■メリットとデメリット 決断
メリットとデメリットを比較して行動を決められる、というのは、どちらの選択肢でもOK
という場合であって、不安が伴うような判断に迷う選択肢があるときは、メリットとデメリットを考えて行動できる人はそうはいない。・・・・「嫌か嫌じゃないか」。そんなもんで決まる。それが認識できたときに、はじめて実行力というものが発揮される。204
■リスクを減らすこと
ナリワイをつくることは、市場経済社会からの完全脱出を目指す単なる自給自足志向ではなく、逆にこのグローバル化する市場経済の中で、経済的なチャレンジを仕掛けて行く基盤になるのではないか、とも考えている。208
ナリワイは強いコンセプトではないが、ふつーの人が、ポストグローバリゼーション時代に、自分のできる範囲の労力で、工夫し、考えて生活をつくる態勢を確保しつつ、必要とあらば市場経済のなかに切り込んで行く、という精神的余裕を生み出す意味を持っている。
■急がば回れ
常人はそもそも試合に出る前に、ルールを覚えたり、基本的な作戦を知ったり、ボールの扱い方を知ったり、ドリブルの練習をしたり、パス回しの連背ううをしなければならない。それがナリワイにあたるのだ。外貨獲得的な産業振興はそれこそワールドカップにあたる。いきなり目指すものじゃない。218
■本を読み終わって
伊藤さんが様々な問題にたいして、きちんと具体的な調査や確認を行い、その上で大局観にたって行動していることが印象的。それぞれのテーマにおける判断の根拠と例証を簡潔に提示されながら、話しが進んで行く。伊藤さんが現在の社会をどのようにとらえているか、というのも学ぶところは多かったが、本書で自分が一番関心をもったのは、ナリワイをはじめる経緯やその体験の詳細の部分だった。伊藤さんが様々な問題にたいして、すらっと、ここはこうすればよい、と提案するのだが、そうすらっとなる前の時のことややっている最中のことを知りたかった。伊藤さんも書いているように、それぞれがもっている向きや得意不得意はある。この本もまたナリワイの一端を紹介するものとして、ヒントとして柔軟にうけとって、読んだ人がそれぞれの場所でそれぞれの歩みをつくっていければいいのかなと思った。
■参考文献
藤村靖之「月3万ビジネス」
宮本常一「生業の歴史」
タグ:
伊藤洋志
オルタナティブ
小商い
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by
yoneda7542
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2012-07-23 14:47
|
ブックレビュー
ブックレビュー 平川克美 『小商いのすすめ』
ブックレビュー 平川克美『小商いのすすめ』
◇この本を取り扱った理由
小商い、というテーマやあり方が気になっていて、経済というものを自分のなかで整理するのにもいいかと思い、この本をレビューすることにしました。
◇本の概要
日本経済は、既に成長はマイナス成長となり、経済が拡大して需要と供給が均衡する条件は失われた。一方、原発事故によって、これまでの、消費優先の社会、価値観もまたそれをあらためなければならない契機にきている。人々の価値観が大きくかわる境となった東京オリンピック以前の町の人々の互助的な関係性、あり方をヒントに、大量生産時代における生産者が消費者の失われた直接的関係や精神性を取り戻すこと、時代を回復させながら生きていくためにヒューマンスケール(小商い)に立ち戻ることの提案をする。
◇本文引用
産業革命以後
「産業革命以後の文明の進歩は、まさにこのヒューマンスケールで作られたものではないということです。産業革命とは、人間生活の側から見れば、力の拡大であり、時間の短縮であり、空間の圧縮でした。」p22
新自由主義
「新自由主義を主導した現代経済学の頭目的存在であるミルトン・フリードマンはその著書『選択の自由』の中で、同じく新自由主義体系を生み出したフリードリッヒ・ハイエクの著者名を引きながら次のように述べています。・・・・われわれは『隷従への道』を速度を速めながらころげ落ちていくことになるか。それとも政府に対して厳しい制限をもうけ、われわれがそれぞれもっている目的を達成するため、自由な個人相互間における自発的な協力にいっそう大きく依存をしていくようにするのか。このどちらの道を選ぶかという「選択の自由」を依然としてわれわれはもっているのだ。」p31〜
「フリードマンは、人間が「隷従」状態から、自由な個人が自発的に協力する「自立」へ向けて成長してきたのであり、これからもなお一層「自立」への道を邁進しなければならないと考えているようです。」p32
「しかし、経済政策において、いかなる国家的な調整も排除すべきであり、自由な競争にゆだねれば市場の原理が最適な調整を行うというなら、それは民主主義の一形態というよりは、強者の欲望に加担するイデオロギーであるというべきです。フリードマンらの理論は、当初はケインズ主義(修正資本主義)や、その実践者でもあったニューディーラーたちへの対抗的な思想でしかありませんでしたが、70年代に南米で、80年代には、マーガレット・サッチャーの英国とロナルド・レーガンの米国において実際の経済政策として採用されることになりました。」p34
「フリードマンはシカゴ大学を拠点として活動し、1976年にはノーベル経済学賞を受賞しました」p34
東京オリンピック以後
「オリンピック以前と以後で何が違うのか。あえて言葉にするならば、人間と自然の関係が180度転換したということかもしれません。」p64
「オリンピック以後は、老いのプロセスというものが、進歩や発展という言葉の背後に隠蔽されてしまいました。家の前のどぶ川が、コンクリートの板で塞がれて暗渠になったように、本来はあった、いやいまでもそこにあるものが見えなくなっているのです。誰もそういうことに真剣に向き合ったり、考えたりしなくなったという意味です。」p64
余暇の誕生
「昭和30年代の日本には、「余った時間」というような概念は存在していなかったのではないでしょうか。時間とは、ものを生産するか、衣食住をまっとうなものにするために働くか、疲れきった身体を休息させるかのいずれかのためのものであったように思えます。「余った時間」つまり「余暇」という概念が誕生するのは、もっとずっと後になってからのことです。そして、この「余暇」のなかにこそ、戦後民主主義の飛躍と衰微の秘密が隠されていました。つまり、ひとびとが食うために生きている時代から、楽しむために生きる時代へと舵を切るきっかけとなったのが、「余暇」の出現だったのです。」p80
「内閣府に設置された国民生活審議会は、1973年(昭和48年)の第4次総会で、「レジャーが生活のあり方を規定する重要な要素となってきた」「レジャーが国民福祉充実にとって、重要な分野を占めるようになってきた」「高福祉時代においてレジャーは人間が人間らしく生きるために、単に経済的充足にとどまらず心身ともに豊かな生活をおくるのに欠くことのできない要素となってきた」と規定しました。」p80
週休二日制
「週休二日制が企業で実施されるのは、1980年代の中頃以降です。わたしはこの週休二日制の実施こそ、日本人の労働意識、生活意識を大きく転換するきっかけになったと思っています。」p81
「週休が二日になって、働くことの意味が少しずつ変化していきます。つまり、人が働くのは、働いて得た金で充実した余暇を過ごすためであり、流行のファッションに身を包んだり、評判のレストランでおいしい食事の時間を過ごしたり、あるいはゴルフや釣りや、カルチャースクールといった趣味や、学びのための費用を捻出するためであるといった観念が一般的になったのではないかと思います。別の言い方をすれば、日本人の生活意識が、労働中心から消費中心へと移行していったということです。」p82
消費資本主義
「もし未開発の世界が広大に残っており、世界の人口が果てしなく拡大してゆくならば、大量生産、大量消費、欲望と消費の果てしない拡大は、文明発展の自然過程だといえるのでしょうが、市場の伸びしろがなくなってきた現代社会においては、個人の嗜好を細分化し、時間を切結んで、消費の窓口を大きくする以外には、需要の拡大を維持してゆくことは原理的に困難になります、したがって、大量生産、大量消費を続けるためには、商品が爆発的に市場に浸透すると同時に、その商品寿命が短命であり、後続の商品に市場を明け渡すことが必要な条件となるわけです。」p88
「ちいさい」問題と「大きい」問題
「問題のスケールが「大きい」か「ちいさい」かということは、どちらがより重要かということを意味しません。では、何が違うのかといえば、語り手である「わたし」の位置取りが違うということなのです。」p131
「「大きい」問題では、「わたし」はただ背景のひとつとして視野のどこかに洗われるにすぎません。そこでは「わたし」の願望や、意思というものはほとんど問題になりません。いや、「大きい」問題を処理する場合には「わたし」は、問題を考える思考にバイアスをあたえてしまうだけの躓きの石なのです。」p131
「しかし、「ちいさい」問題を取り扱う場合には、必ず「わたし」がその問題を引き受け、どのように行動し、どこまで責任を負うのかということが重要になります。「大きい問題」と「ちいさな問題」では、そのなかに含まれる不合理生の処理の仕方が違うのです。」p131
所得倍増計画
「わたしは、この所得倍増計画というものを一読し、少々意外な感を持ちました。部分的なところでは、たとえば輸出振興による外貨獲得とか、農業生産基盤整備へ向けた積極的投資と言った政策が目につくのですが、この計画全体を覆っている思想、あるいは哲学というものが、いわゆる、格差の是正、国民経済の均衡ある発展だということです。」p156
国民経済
「国民総生産を倍増する目的が、雇用の拡大による完全雇用の達成をはかり、国民の生活水準を大巾にひきあげることでなければならないとしていることは、この所得倍増計画なるものが、国民経済というものの向上を第一義的に目指しているということです。現在言われている、国際競争に後れをとらないためであったり、繁栄を享受し続けるためのものであったりする経済成長戦略と下村の経済成長論の著しい違いは、この国民経済という視点です。行政改革によって、リソースを最も効率的に配分することで、競争力のある産業を後押しするといった先富論的な経済成長論には、国民経済という視点が徹底的に欠けていると言わざるをえません。」p156
「いま・ここ」に責任を持つ生き方
「まず、わたしが商品経済を中核システムとする「いま・ここ」に生まれたこと、そこで生きていることは、偶然であり、そのことに対してはなんの責任も無いというところが出発点です。」p192
「わたしは、自分たちが作り上げた現在に対しては、責任を問われることが無いし、実際的にも責任があるとはいえないだろうと思います。」p192
「それでもなお、わたしたちが「いま・ここ」で生きることに誇りをもつことができるのか、あるいは、「いま・ここ」に対して愛情を持つことができるのかと自分に問うたとき、わたしはイエスであると答えたいと思います。ただし、それにはひとつだけ条件があります。その条件とは、本来責任がない「いま・ここ」に対して、責任を持つということです。わたしたちは、本来自分に責任がないことに対して、責任を持つというかたちでしか、遅れて生まれてきたこと、そして「いま・ここ」にあることを自らの必然に変えることはできない。そう、わたしは思っています。」p193
返礼の気持ち
「誰かがしなければならないことを自分の代わりにしてもらえばちょっとしたうしろめたさや、感謝を感じるものです。マルセル・モースだけでなく、マリノフスキーも、レヴィ・ストロースも、宮本常一もそのような自称をたくさん拾い集めています。とにかく、誰かが最初に贈与的な行為をすることでしか共同体は起動していかない。合理主義的には損な役回りといいましたが、ほんとうはそうとばかりはいえないだろうとわたしは思っています。なぜなら、責任がないことに責任をもつときに、はじめて「いま・ここ」に生きていることの意味が生まれてくるからです。」
「日本はどうなるのか。いや、そもそもこういった問いの立て方自体が、ほとんど意味の無い杞憂に過ぎないというのが本書のテーマなのです。小商いとは、さまざまな外的な条件の変化に対して、それもでなんとか生きていける、笑いながら苦境を乗り換えていけるためのライフスタイルであり、コーポレート哲学なのです。これまでも、これからも外的な環境変化に対して、あたかもそれが存在しなかったかのように、自分たちのすべきことを着実に実行し、積み上げ、価値を作ってきたものは生き残ってきたし、生き続けていくだろうと思います。」p221
◇「小商いのすすめ」を読んで
本書は、筆者も前書きで述べているように、小商いを詳細にわたって分析したものではなく、むしろ現代のヒューマンスケールをこえた、あるいは生の人間が関係なく構成されてしまった社会や経済システムのゆがみや限界を総括することに大部分が割かれている。そして、そこに対して対照的に浮かび上がってくるものとして、筆者が当時体感したかつてオリンピック以前の人々のあり方、町、小商いというものをたとえに、そのエッセンスが実は現代にも生き続けているものであり、そして多くの人がそれを取り戻していくことによる社会の回復を提案している。わかりやすく書かれているが、細部細部の言葉の使い方に、直接は書かれていない著者の認識や哲学があることに、このレジメをまとめながら後で気がついた。レジメでは取り扱わなかったが、筆者は、「おとな」と「こども」の対比をよく使った。成熟し、自分が責任をとる必要のないことに責任をとり、共同体に対して贈与する存在である「おとな」と単純な幻想から離れず、責任を持たない存在である「こども」という構図であり、日本社会はおとなにならなければいけない、という主張だった。この「おとな」というものも「小商い」と同じく、現実にある、あるいは存在した具体的な事実や人を例として提示しながら、しかしそれはあくまでわかりやすくするためのイメージであり、筆者の提示した具体例を捨象せずそのまま受け取ってしまうのではなく、あるべき方向性やエッセンスを比喩的に表したものであるととらえるほうが筆者が最後に述べている言葉からもよいかと思った。ややもすれば、(筆者も否定しているが)単に昔のあり方に戻ればいいと主張しているように受け取られたり、筆者が既に完成しているイメージをもってそれを伝えているようにも受け取られそうだが、筆者はむしろこの小商いの逆の社会システム、経済システム破綻のとその裂け口からのぞけそうな奥行きだったり、これからそれぞれの個人が進んでいくヒントになりそうなことを筆者のいる場所、その身で経験してきたことから届けようとしているのであると思う。
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小商い
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yoneda7542
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2012-05-20 16:58
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