Facebookの投稿の転載です。
(リンクが直接貼れて画像もでたり、投稿した内容について話しができたりするので、最近はもっぱらFBで書きたいこと書いています。)
ニートひきこもりJounal
ひきこもりの当事者が、ニートの日本での定義、イギリスでの定義、支援機関、学術論文(英語も)など広い範囲をサポートしながら、それぞれの情報を出典つきでまとめている。「問題を解決した当事者」としてではなく、問題は問題のままで、本人が困っていることもそのまま書いている。
すごいなと思ったのは、専門家や人がなんといってようと、自分は自分の感覚にとどまっていながら、しかし情報や調べたことは詳しく他の人がシェアできるかたちで提供しているこの分け方。本当は研究者とかが当事者であるというかたちをとってやってる実験なんじゃないんかなと思うほど。
ともあれ、ひきこもりは変わらないし、将来の不安をかかえている。でも調べた情報や経験を誰もがシェアできるかたちにしていることによって外部、世界との循環がおこっているから、いずれ外から何かがやってきたり、淡々と続けているこの編集作業とシェアの継続が著者自身に何かを起こす気がする。
ニートひきこもりに対する支援という社会的意義もあるけれど、ニートひきこもりという分野にとどまらず、これは何かの当事者の自助としての活動や工夫が、公共性を帯びるかたちにできること、そしてそのことによって当事者が誰かに言われたやり方を自分に強制させたりせず、自分のあり方、自分のやり方で外部、世界との循環をとりもどしていく事例だと思った。
著者は苦手なことや出来ないことがあるけれど、この世界との循環があれば著者が出来ないことを違う誰かが著者に抵抗がないかたちでサポートすることもできるはずと思う。誰かが出来ないことはそれ以外の人の出来ることの重ねあいで補うことができる。工夫と調整があれば、その活動のせいでエネルギーを減らしたり、疲労を蓄積することなく
先日、かぜのねに行って、集まっていた人たちと話した。冷えたさくらんぼがシェアされていていっぱい食べた。
べてるの家の向谷地さんは、日本の福祉制度は当事者によってつくられてきた、と書いていた。切実な自助は公共性につながっていくと思う。切実な自助は、だれも認めてくれないようなところから始まる。
ムツゴロウさんが、その著書で自分は自然とは保守性であると思う、と書いていた。保守性とは何なのだろうかなあと思う。大きな病気や事故等をした人が変化する話しがよくある。自然農の川口由一さんも農薬で体を壊して、その後自然農の方向にいったり。創造の病、というのもあって、大きな仕事を後にする人が病気をおこすことがあるともいわれている。
創造の病というほど行かなくても、日常的な身体の最適化の過程でも、風邪が身体のバランスをいったん壊し、より適する状態に再調整するようだ。野口整体の考え方では。片山洋次郎は、たとえ風邪までひかなくても、微妙な発熱状態がおこり、身体を変化させている時があるというようなことを述べていたと思う。
保守性とは留まろうとすることだと思う。一休は、「有漏路(うろじ)より無漏路(むろじ)に帰る一休(ひとやすみ)雨降らば降れ風吹かば吹け」とよんだという。うろじは煩悩の世界、むろじは悟りの世界とネットの解説には書いていたけれど、一休にとって生は、自意識が生まれ、そして消えていくまでの一時的な留まりととらえられていたのだと思う。
生というものが、そもそも留まりであって、保守性が強いのは当然で、しかも変化がおこるときに、内省で変わるというよりは、物理的な、観察もできるような激しいバランスの崩され方がされて変わってるということ。それだけ保守性が強いのだから、新しいことなんかそうそうできない。それができるのは、もう既に現状ではどうにもこうにもやっていけない、前に出るしかない切迫性、切実さが必要なのではないかと思う。
そして自助でなければ、力は発揮されないと思う。生きるものの力というのは、そういうふうに流れるものだと思う。他人を中心とした意味のある奉仕はない。あるようにみえても、それは自分の存在をより底から救うための自助なのだと思う。
ガンジーの言葉、「あなたの行う行動が ほとんど無意味だとしても それでもあなたは それをやらなければなりません。 それは世界を変えるためではなく あなたが世界によって 変えられないようにするためです。」も、自助につながる。自分をより根底的な層から救うためにその行為が必要なのだ。
かぜのねできかれた。「ある人が自分にとってそれほど重要でないこと、あるいは相手するのが少し疲れるようなことをします。それに対して、相手の望むように対応することは、自分の社会的地位や安全を守るための自助かな?」
自分を助けていないとはいえない。でも疲れてしまう。無理になり、それが続けば破綻する。というところで、できる範囲の対応はしているが、根本的な解決は試みられていない。まあ大抵そんな根本的な解決なんてなかなかできないので、余裕があれば余裕を消費をして対応する。だけど、切実な水準まで追い込まれた人はもう余裕がない。何だろうが、前に出るしかない。変えていくしかない。起こることは誰のせいにもせず、自分で引き受ける主体性が生まれ、良いことやってるからあなたも協調的になりなさいという態度もとらない。誰の承認も必要としないその主体性が生まれたとき、その人は自分の欺瞞から解放される。他人を異文化として受け止めながらやりたいことをやっていく。
切実さを端緒とした創造的な自助。
その主体性は、自分をエンパワメントしていく。欺瞞がないから、やりたいことはそのまま自分を元気にしていくことに直接つながっている。主体性を取り戻すことが必要なのは、自分で自分を回復していくことが必要だから。この世界で生きていくときに、誰が何を言おうと何を認めまいと、したいことが直接はできない環境にあろうと何だろうと回復をすすめていこうとする自律性は本来生きものに備わっていると思う。
既にあるものにもはやしがみつけず、新しいものを創造していくしかないところにいる人たちがいる。あるいは多くの人にそのような時がおこる。切実さのなかで保守性は破綻して、新しいものを創造していくことが生きるものとして強制されてしまう。それぞれの場所にいるそれぞれの人が、切実さに向き合わざるをえず、創造的な自助をしていくとき、それが世界にグラデーションと重層性をつくっていく。
前は興味があったり、やれたりしていたことに対して、関心がなくなっている状態がまだ続いている。戸惑いもあるけれど、新しい状態と思ってこれを普通にして組みなおしていけばいいんかな。
アフリカに行った人類学者の人のマンガをうちの1階で預かっている。
魚喃キリコの南瓜とマヨネーズが本棚から出ていたので手にとって読んだ。
音楽で食べていこうと夢見る男と彼を食わせる女。女はしかし前の男ハギオのことが忘れられない。そしてハギオとまた出会う。以前適当にあしらわれて堕胎までさせられて捨てられたけど、やっぱりそちらのほうへいく。
バイト先の同僚に言われる台詞。
「そんであんたも 今のそいつを好きなんじゃなくて 過去の自分へのために 今のそいつと会ってるんじゃない?」
最近、人はまるで鎮魂をするように生きていると思う。
生まれてから、またそれよりもっと前の過去からの背負ってきたものに対して。それらに向き合わなくても生きていけられるし、向き合おうとして機会なくすぐ向き合えるものでもないけれど。しかし鎮魂しようとしなかったら、それらに向き合うことをさければ、それらは荒ぶって、コントロールはそちらに奪われてしまう。結局意識的にやらないにしても、状況や身体が無理やりそれを遂げようとするようになってしまう。結局逃げられない。
魂の存在を言いたいのではなくて、鎮魂は態度のあり方、出会うものに向かい合うあり方のたとえ。
生きていることが、既にあるもの、起こるものを整え、鎮魂していくことだとしたときに、僕は物事が適切な位置に落ち着く気がする。
自己実現とか。
人は自分の可能性を十分に発揮される状態になるべきなのか。
発生してしばらくして殺されたり、病や障害によっていわゆる自己実現していく可能性を最初から奪われているものもいる。きらきら光るものを目指していく時に忘れられるものもあるかもしれないけれど、自我を高揚させて動かそうとするものは、その後の落ち込みや燃え尽きとセットである気がする。
また人は、強迫観念や緊張から自分を自由にできたとき、世界や自身の潜在的な豊かさとつながりをもてるもの。「いい生き方をしなければ。幸せにならなければ。成長しなければ。」という強迫観念は望むその状態をかえって遠ざける。
自分のために、という考え方も、わかりにくい欺瞞をふくんでいて、自分をスポイルしていく。
鎮魂という方向性は、そこらへんといい距離をとる。ただあるものに対して、それを終わらせていくために必要なことをする。その結果、掃除されたように空気の巡りがよくなる。
人はどこにもいかない。発展や到達が生きることの根本的な不条理を変えることはない。けしかけるものは、強迫するものは、幸せをよびかけているように見せていても、それは大きな嘘だ。人や自意識は生の主体でもないのに。
鎮魂という態度は、また社会的悪に対する態度でもあると思う。憎んだり、起こっていることを否定したり、自分を卑小にさせられて、巻き込まれていくのではなくて、陰陽師の安部晴明が妖怪や菅原道真に対する態度でいく。毅然として、つけこまれる隙をつくらないが、憎むのではない。自分の位置と力を把握しながら、淡々と必要な手続きをおこなっていく。
社会悪が自分が生きている間に変わらないかもしれない。生きている間に、世界はどんどん悪くなっていくかもしれない。しかし、淡々と必要なことをして、自分とその周りの空気の巡りをましにしていくことは、いつでもやれることとして残っている。
先日、福井の高浜で、樹心さんという方の話しを聞きにいった。高浜は30年以上前から原発と暮らしてきた地域。そこで、住民、行政、関電が同じ場につき、わずかでも共に歩みを進めていくことを模索し続けている。
立場がまるで違うもの同士だけれど、この話し合いによって、たとえば、行政から発行される冊子等に他の地域のものではみられないような、具体的な原発の関する情報が掲載されていたりするらしい。
また樹心さんは地域の賛同者たちと農薬を使わない野菜づくりを行っている。当初は、素人が何をやるのかという冷たい目以上に、そこまで言うかと思われるほど、非難され、罵倒されたりすることもあったという。しかし、樹心さんは、それは地域の人々が今までそのように扱われ、抑圧されたきた気持ちをそこにぶつけたのだと考えている。
樹心さんも最初は、どちらかのいうと穏やかな反原発系の人だった。昔は矛盾した現実を直視することができない人にはつい口が出てしまうような気持ちがあったという。しかし、今はその直視することができない苦しみに寄り添えることができるようになったと語っている。
樹心さんは、社会問題の前に、今たとえどのような立場であっても、人間が人間として回復していくことを大切に考えているようだった。そしてその立場をこえて共に回復していく先に、何かがあると考えているのだ。
反原発、と声高に原発関係者や行政等を否定するとき相手は逆に聴く態度を奪われ、より守りに入り、互いの距離は一層大きくなる。高浜では、妻は原発に違和感をもっているが、夫は原発で働いているというような状況が普通にある。その日もそういう方が何名か来て話していた。
夫婦の間ですら、立場が違い、また話し合いもできないような状況が多々あるときいた。そして、ここで必要なことは、反原発か原発推進かという以前にお互いの暮らしをよりよくするために、どう共に歩みをすすめるかということだと樹心さんは考えている。
徳島の姫野雅義さんは、国が吉野川に人口の可動堰をつくろうと計画した工事に対し、運動をはじめた。可動堰ができれば、ヘドロがたまり吉野川が破壊されることはその前に行われた長良川の工事の事例で既にわかっていた。
長良川の工事は、反対運動にも関わらず止めることはできなかった。しかし、徳島で姫野さんは長良川の運動の反省もいかし、地域の普通の高齢者が自分がそこに関わっていることを実感できるかたちで運動を進めていき、それは徳島の人の心を動かしていった。そして様々な妨害にも負けず、住民投票が行われ、日本で初めて国の公共工事が止められた。
吉野川を守るために、姫野さんがとった立場は、可動堰反対派ではなかった。反対派という立場をとった瞬間に市民や普通の人と隔たりが生まれ、共感やつながりが広がっていかないことを知っていた姫野さんは疑問派という立場をとった。可動堰が本当に必要かただ現実を確かめていくという立場だ。
ただ事実を明らかにしていく疑問派という立場をとり、同時に子どもや大人が吉野川の豊かさを知ってもらうために、川の学校という学校をつくった。川の学校はもう11期ともなり、川で遊んだ子どもたちが今大人になっている。
徳島の住民運動は盛り上がり、公園では主婦が紙芝居をもって自主的に来る人相手に吉野川の話しをしたり、あるラーメン屋では住民投票の投票率に応じて値引きをするというようなことがされたり、投票権をもたない未成年の高校生が自主的に高校生投票を行ったりということもおこった。住民投票案を議会で提出するための署名集めには、刑務所のなかに入っている囚人すら自らそれを求め、署名したケースもあったという。
徳島の住民運動は、「反対運動」ではなかった。それは住民が自分で自分たちにとっての豊かさとは何かを考え、自分たちで地域のことを決められるのだという自信を獲得していくエンパワメントだった。50パーセントという高い投票率のもと、可動堰計画は停止した。
姫野さんは、この時「徳島の人は民主主義の体験をした」と言った。可動堰問題を通して、川の学校が生まれ住民は自分たちの意思の力を確認した。この事例から学べることは、反何々では広がりは生まれないということ、そして問題のおこっているまさにここで何かを創っていくことの重要性だ。
高浜の樹心さんたちの新しさは、(いずれ原発をなくそうと思っていても)反原発以前のところの大切さを知り、立ち戻って、そこからはじめているところ。樹心さんは自分たちがしているのは「暮らし」だという。自分たちの暮らしを創造しているのだ。
問題を通して、今既に失われいるもの、また人と人との関わりなどを逆に回復していくことができるのではないだろうか?必要な働きかけはしなければならないが、それが「悪い者」を糾弾、否定したり、敵対したりして、それがいつか仲間にまで及んだり、自分たちも疲れていくのではなく、問題を通して、しかし積極的に暮らしを創造していく。焦点は創造にあてる。自分たちを下支えするものを必要なものを自分たちでつくり、そこで元気を得ていく。自分たちを守って、そして育んでいく。今回の原発の事故もそう生かすことができるのではないだろうか。
5月15日に放送されたETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図」では、問題意識をもった市民が自主的に全国に車を走らせ、測定し、放射能汚染地図を作成したことが紹介されている。国や東電が動かなくても、自分たちとそのつながりで必要なことをやっていける事例だ。必要な能力もっている潜在的な協力者はいる。田中優さんのいう、第3の方向、自分たちで「勝手に」いい世界や仕組みを創っていく方向だ。
ここの「勝手に」とは人のせいにしないで、必要なもの(それが必要なら新しいものであっても)をつくり、必要な働きかけをおこなっていく自律的な態度。
社会のなかで「自立」して生きていくために「手に職を」とか言われたりした。たぶん既にある制度や仕組みの枠組みの中にはまり、生きていけるように。しかし3.11以後の個々人は生きていくために、国や会社が動かなくても自分達で自分がそこの中で生きることに必要な仕組みやよりよい枠組みを創造していく技術が求められる。自分たちが生きる世界を創っていく責任をもっていることに直面したからだ。
どのように自由であることもできるけれど、その結果は自分達が引き受ける。そして、自分たちが創ったものに対して自分たちがエンパワメントされていくことを体感していく。それは国や大きな仕組みに預けていた世界、力、元気、そして生きていく態度を自分達のほうに取り戻していくことだと思う。
人と話しをして感じるのは、普通の人と表現の距離です。
またその「表現」と呼ばれているものが学校の科目のように決まった種類のものだと思われているんだなということです。「表現」が意味するところがとても限定されているんだなと感じます。
僕は芸術とかアートとかからの視点は持っていませんが、表現ということは、大きくいえば自分という環境や世界に対してはたらきかけることに属していると思っています。膨大な関係性の組み合わされ方で自分や世界ができていると思っています。関係性という言葉よりいい言葉があるかもしれないですが、思いつくまでとりあえず今はそうよびます。
関係性についてどう自分で定義しているのかといえば、たとえば、幼児において、自分の身体の各部分の関係性がまだ共同する状態にいるとき、はいはいで前に進もうとしているのに、実際には身体は後ろに下がっていって、それが自分のやりたいイメージと違うものだから泣いてしまう、といったことがおこります。この時少なくとも幼児の足、手、思考の3つの独立した文脈と関係性がそこにある。
幼児の身体における関係性はたいてい、いずれ共同していくものですが、もともと目は目、鼻は鼻、手は手、思考は思考で独立しているわけです。だから上記のようなことがおこるし、年をとって認知症になれば「適切な」記憶との関係性を保つことができなくなり、自身を統合することができなくなったりする。
実際には、身体一つとっても、そこには自意識で数えることのできない膨大な関係性があります。そして身体は身体の外というこれまた膨大な関係性がある。光だったり、温度だったり、湿度だったり、人だったり。生き物は生きていくために、自分の身体にふくまれる膨大な関係性をある程度以上に統合し、共同性をもたせるパターンや世界との関わり方のイメージをつくる。
しかし、このパターンやイメージは、環境にも影響される。異文化間では同じ人間でも、認知、価値観、行動の違いなどがおこります。もっと言うならば、同じ文化圏内の個々人も細かくみれば実は異文化同士なんだというところに行き着くと思います。
ともあれ、この自分の身体とその外の膨大な関係性のなかに、自分という運動、あるいは反映があると思います。幼児がパターンを身につけていくように、生き物はその環境にあわせて自分を自己設定していく。そうして世界のなかで生きていける関わり方をみにつける。しかし、世界に関係性は常に変化しているので、同じ関わり方、同じ自己設定が機能しなくなるときがある。その時は、自分の外の世界に対して何かのはたらきかけをして世界を今の自分で対応できる状態にもどすか、固定化してしまった自分の内を変化させていく必要があると思います。今ある関係性の組み合わされ方は変えられていく必要があるのです。
この関係性の組み合わされ方を変化させようとするはたらきかけ、これが表現とよばれるものの基盤にあると僕は思っています。(なので、表現の自由とは僕にとっては、自分という運動、あるいは反映がおかれている関係性を自分自身で自律的に組み替えていっていくことが保証されているということです。)
そして生き物は自分自身を自律的に変化させていく力を潜在的にもっています。
たとえば、箱庭療法という心理療法では、クライアントは箱のなかにある砂や小さな人形や家や木などの物をつかって、自分の気持ちがすむようにそこに世界を構成していきます。そしてこの行為自体がクライアントを回復させていきます。人は意識しなくても、自律的に自分を回復させていく運動性をもっているのです。箱庭という自分の外の物にはたらきかけることによって、身体は自律的に自分の内にあるものにアプローチし、より適切な生きやすい状態に再設定しようといているのです。
この自分という環境を含めた世界へのはたらきかけが僕は表現の基盤だと思っています。はたらきかけることによって、自分という運動や反映をおこしている関係性のあり方を組み替えていく。しかし組みかえられようとするその関係性は膨大で精妙です。だからそれぞれの人によって、環境によって、何をすることがそのプロセスを求めるようにすすめられる媒体となるのかはわからない。本人の身体しかそれを知らない。いわゆる「表現」が多種多様であるのは、ここに理由があると思います。膨大で精妙に織り成された関係性を組み替えるプロセスを進める媒体は、同じく多種多様でどのように突飛にもなりうるし、非常識にもなりうる。
本人の自意識も気づいていないですが、身体のほうはいつでも適切な環境と媒体があれば動き出そうとしています。追い詰められれば、限られた状況のなかで無理やりでも代替的にそれを達成しようとするぐらい。そうなればそれが犯罪的になる場合もあります。
しかし、犯罪的なかたちで暴発がおこる前に、身体が求めることにより添うことができたなら、適切なはたらきかけや媒体を探し、発見し、開発し、たとえそれが初めてのことであっても、一見奇妙なことであっても、進めていくことができたなら、身体は膨大で精妙な関係性の組み合わせを調和的に、お互いを生かしあうかたちにリードし、組み替えることができると思います。
だから、表現は自由であっていいのです。上手い下手も関係ないし、既に確立されている手法や評価されている技法のみが表現に属するのではない。逆にそれだけが表現だというなら、それを相手にする必要もないと思います。それは生き物がもっている、自分で自分という反映がそこに生まれている関係性を組み替えていく作業であり、生き物が自分で生きていくための生得の権利であり、自分以外のものに奪われるものではないのです。
話すことも、ただ散歩したくなって散歩することも、世界に対するはたらきかけです。何でもいいのです。表現はそれぞれの人が既にやっているし、そしていつでも身体はより適切な環境と媒体を待ち、プロセスを進行させようと自分にもはたらきかけています。