年明けのこと。友人が京都御所の西のホテルのキッチンでやっていた非営利バー「おかばー」がそろそろ終わりにするという時期を迎えていた。おかばーは木曜日の夜だけひらかれていた。
アサダワタルさんの本をお貸ししていた方から連絡あり、本を家まで持ってきてくれるといってもらえたけれど、今日は木曜日だったので、おかばーで受け取ることにさせてもらった。
去年は年末まで鬱っぽくどこにも行かなかったのもあり、色んな人に再会した。トリペルという同じカフェを共同で経営していた3人も揃うという奇遇あり。「トリペルだったの?」と来ていた二人ぐらいに驚かれた。チャイもトリペル割り引きにしてもらった。
npoココペリ121のおさみさんも来てくれて、事業所開設のことやココペリを運営されるまでのいきさつを聞かせていただいた。
エンパワメントを日本語でなんといえばいいかまだわからないけれど、エンパワメントということについてずっと考えている。
人間はそのうちに可能性・創造性をもっており、それが発揮されることによって生きることを創造し、切り開いていくことができる。それが発揮されるためには、平等で公平な環境が必要。
逆にいえば、それらが発揮されないというのは、そこに何らかの阻害要因があるので、それらを取り除こうというのが基本的な考え方だと理解している。カンフル剤を打つのではなく、そもそもその創造性が働く環境をつくれば、自律的にそれぞれが問題を創造的に対処していくと。
阻害要因は、社会の制度や仕組みや理解のなさもあるが、気づかず取り入れてしまった自分自身の考え方や態度も含まれる。
人が自分自身によって自分の内と外の環境調整、環境への働きかけを適切に行えるようになることが、エンパワメントの行き着くところだと思う。そこでは、自分に適切な行動を行うことによって、さらにエネルギーが発生し、それがまた環境への働きかけにつながるという循環がおこる。
おかばーでは、本を返してもらっただけでなく、思わず久しぶりの友人に会えたり、おさみさんに出会って、また新しい可能性がひらけた。色々やりたいことがありとりあえずココペリに登録させてもらうことになった。おかばー最後の時期にまたお世話になった。
コミュニティは、パソコンのソフトみたいにその全てプログラムされているようなものであるよりは、どちらかというと、漁礁のように外枠だけがあって、そこを個々の生物がそこで個々の活動をすることによって、内実ができていくものだと思う。
愛とはスペースを与えること、と昔に参加したワークショップのボディワーカーが言っていたのを思いだす。海の中は空間的な意味でスペースはいっぱいあるけれど、小さな生きものが活動したり、魚が隠れたりするには、その需要にあったほどよいスペース、空間が必要になるので、単にがらんどうの空間では用を足さない。
それらはたまたまできたり、どこかに始めからある場合もあるけれど、自分が利用できる範囲にない場合もある。
誰もが、今いるところところから次のどこかに行く途中であると思う。自分の身体が求める飢えがあり、その飢えを満たしてあげることによって、次の状態へと移行する。そのプロセスをすすめるために必要なスペースがなければ、個人は自分で創造することに迫られる。
無いところから、自らを救うために創造したものは、たとえそんな意図がなかったとしても、漁礁となって、自分の周りの人や自分に似た人を救い、そこにエネルギーが循環し、プロセスをおこし、満ちていく一つの生態系・文化を育てる。自身へのエンパワメントが周囲のエンパワメントになる。おかばーは終わりになるけれど、そこで何がいい感じだったのか、どのようなものを自分たちは求めていたのかを体感した人たちには、もしそれが本当に必要であれば、その感覚を頼りに自分で生み出す基盤が育っている。それぞれに、様々な水準で、循環は続いていく。