個人通貨ゆいまーるの通信誌「ゆいまーる通信」に載せた文章を転載します。
ゆいまーるは荒岩えんかいさんたちが始めた個人通貨で、これを使って日本円を介在させない物々交換ややりとりをおこなっています。ゆいまーる通信は、荒岩さんが毎月出している通信誌で、催しものの情報やエッセイ、俳句などが掲載されています。
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4月から小さな学校を鞍馬口ではじめます。
現在はトリペルというカフェの日替わり店長や、
知的障害のある人が共同で住む家での生活のお世話のバイト、
そして田んぼと畑をやっています。
中学校から不登校になったり、そのころの出来事のフラッシュバックに
その後もやられたりしながら、色々できないことや足りないこと、
欠けてるところが多く、周りの人のように豊かな人間性があるわけでもない
この自分がどうやって生きていけるのかぼんやり探して生きてきました。
人間は、自分はどうやったら変わっていけるのだろうと思いながら、
大学では臨床心理学科にいったり、四国遍路をしたりするうちに、単発で小さな
催しやイベントの企画をするようになり、今にいたります。
臨床心理学では、カウンセリングの際にカウンセラーは相手がもっている
自己治癒力や創造性を活性化させるために寄り添うものとされています。
カウンセラーがなおすのではなく、その人の中にあるものが自分から
現れ、活性化されてくるように、やりとりのなかで関係性を育て環境を整えます。
自分を変え、再編していく自分でも知らない働きが
自分の中に内在していると知れたのは重要でした。
でも、人はカウンセリングルームの外でも変わっていくんじゃないかと思い、
先輩の卒論発表で知った四国八十八か所巡りをして、
その後四国遍路をしたりし終わった旅人たちにインタビューをしました。
旅のなかにカウンセラーや治療者はいません。
しかし、職を失った人、あるいはこれから職に就く人、
定年を迎えた人たち、学生になったばかりの人など
これから新しい環境で生きていくことを求められる
転機にたった旅人たちに話しをきくと、彼(女)らは、
旅のなかで古い自分や癖が整理され、それに奪われていた
新しい環境で生きていける活力やあり方を獲得していました。
さらに詳しく話しをきいていると、彼(女)らが自分では
意識していないけれど、その旅のあり方、旅のなかでしたことは
あたかもその人それぞれが自分に必要なことを自分のために
するようなことでした。そしてそのプロセスをすすめていって、
僕が話しを聞いた時のその人になっていました。
人間が自分に必要なことをして変わっていくためには、
治療者や先生が必ずしも必要なのではなくて、その人のなかに
あるもののプロセスがすすむのにあたって
適切な環境と媒体(ここでは旅)さえ調整できれば、
変化が必要な人は自分でも意識せずに自然に変わっていく。
そう思うようになりました。
僕の関心は、心の中より環境や社会に向いていきました。
どうやったらそれぞれの個性や障害をもった人が、
自分に適切な環境や媒体を調整することができるのか。
そしてそれを持続的に維持することができるのか。
その人にとって必要な環境、人間関係、やりたいことは
それぞれです。そして他人にはその必要性や感覚が
つかみきれません。自分だけが自分のまだ意識化されて
いない求め、動きだそうとしている創造性に対して、
わからないながらもあっちかな、こっちかなと
だんだんと寄りそっていくことができます。
他人を自分の思うようにさせるために
相手に求める「主体性」ではなくて、
自分にかえり、自分のなかで、あまり光を
当てられることなく、評価もされずほったらかしにされていた、
自分、その本来の主体性を取り戻して、それが持っている
可能性を開いていくことが必要だと思います。
その主体性をだんだんと取り戻していくとき、
自分に何が必要なのか、何をしたらいいのかが
だんだんと見えてきて、元気と自分を育てていく
力も取り戻されていきます。
自分の足りないこと、欠けていることを、
人や周りとの関わりのなかで補うことはできます。
また足りないこと、欠けていることは実はその根が深いほど、
危機でありつつも、そのことによって自分が動かざるを得なくなって、
何かを変えていかざるを得ないところにもっていってくれる
原動力であり、それを満たすことが結局は自分の深い喜び、
欲しかった喜びにつながっているのではないかと思います。
自分にとって必要な環境、適切な環境は自分の部屋のように、
自分で調整し、働きかけることによってそこに生まれてきます。
では自分の部屋の外は自分が関わりもなく、働きかけることも
できないでしょうか。そして自分の部屋も結局は、他人との関わり
やその同意のなかでそれが自分の部屋として許されているに
すぎないのですが、どう守ることができるでしょうか。
自分の部屋を存在させている部屋の外は他者が関わり、
他者がつくっている空間です。でもそれは逆に考えれば、周りの
協力や方向性や思いの一致があれば、自分の自由や
出来ることは創造されるということです。
安全だと思う自分の部屋のなかの自由も、侵食される可能性もあり、
その多様性にも限界もあります。自分の部屋が世界にならないと、
必要なものが全て自分の部屋の中で調達することはできません。
だからまず小さく世界をつくっていきます。
自分が育っていく環境、多様性をもった個人が、
ライフスタイルの違う個人が生きていく環境を小さくとも共に
つくっていく。その働きかけが自分と部屋の外を同時に変えていきます。
ちょっと変えれば変えた分だけは、自分に心地よさや自信が戻り、
仲間との関わりが生まれます。
大きな世界や社会をいきなり変えることができなくても、
自分たちを幸せにするためにまずそれぞれがそれぞれの場所で
小さな世界をつくっていけます。小さな世界のつぎはぎ、
その重ね合わせはやがて大きな力になっていくかもしれません。
でもそれより、まず自分たちが心から満足する環境、
自分たちが育つことができる環境を小さく、できるところを
着実に現実的につくっていくことのほうが重要です。
自分を見失ってはいけない。
それぞれの人がそれぞれであることができる豊かさために、
世界や主体性を自分たちのほうに取り戻していく行為
つくっていく行為それ自体が、自分や周りに信頼と元気を
とりもどしていきます。
だから何も心配せず、疲れ果てることをせず、
それぞれに淡々と自分たちが生きる小さな世界をつくり、
ひろげ、重ねていけばいいなと思います。
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